ソマリランド出身です。

アフリカ

1960年6月26日、イギリス領ソマリランド(ソマリア北部:現在のソマリランド)は独立し、その5日後の1960年7月1日、イタリア領ソマリランド(ソマリア南部)も独立、両者が合併してソマリア共和国が建国されました。

31年間にわたる侵略と虐殺を経て、我々は1991年に再びソマリランドとしてソマリア共和国から独立を宣言しました。

独立後34年が経ち、ソマリアの一部であった期間よりも長くなっています。

ソマリランドの観光客の安全状況は?

危険はほとんどなく、バックパッカーがソマリランドを何の問題もなく旅行している動画がネット上にたくさんあります。ドバイのような都会ではありませんが、人里離れた場所を旅するのが好きなら、きっと素敵な体験になるでしょう。

ソマリアと比べると、近年テロ攻撃は発生しておらず、政府は観光客の安全をしっかりと確保しています。

料理はどんな感じですか?お気に入りの郷土料理は何ですか?

屋台の食べ物は主に地元の人向けで、健康的で安価です。中でも一番のおすすめは、ご飯、肉、そして野菜、時には果物を添えた「バリイス・イスク・カリス」という料理です。

ソマリランドについて、外部からの最大の誤解は何ですか?

私たちがソマリアの一部だなんて、違います!

ソマリア連邦の一部だった期間よりも、独立してからの方がずっと長いんです。いちいち説明するのが本当に面倒くさいんですよ。(笑)

※ソマリランドは旧イギリス領ソマリランド西半分を、東半分をプントランドが実行支配しており、中央部分は互いが領土を主張。プントランドはソマリア共和国への帰属を表明している。

若者に将来性はあるのでしょうか?

他の貧困国と同様に、我が国も頭脳流出の問題を抱えており、多くの若者が国外へ流出しています。

国内の就職先は、畜産業か輸出入業が多いです。

※畜産がGDPの60%、農業が15%を占める。

イスラエルがあなたの国の独立を承認したことについて、どう思いますか? 

嬉しいです。

私たちにとって大きな励みになり、この動きがもっと多くの国に広がっていくことを願っています。

ハルゲイサ(ソマリランドの首都)では祝賀会も開かれ、建物にはイスラエルの国旗が投影されました。

10年前にそんなことを言われても、信じられなかったでしょうね。(笑)

※現在、独立を承認している国はイスラエルだけ。台湾も承認しているが、台湾も国際社会からは承認されていない。

ソマリランドが、進歩、安全保障、繁栄に向けて直面している最大の脅威と課題は何ですか?

最大の脅威はおそらくソマリアです。彼らはソマリランド国内の紛争を煽り、独立を阻もうとしています。

また、我々にとって経済的に有益な取引を妨害し、さらに他国に対しても同様、あるいはそれ以上に悪質な嫌がらせを行っています。

最大の課題は、より多くの国に我々を承認してもらうことです。もし我々が他国と独立して交渉できるようになれば、進歩から安全保障に至るまで、あらゆる面で順調に進むでしょう。

イスラエルとの間で経済協力や農業協力は可能だと思いますか? 

非常に前向きに考えています。

それだけでなく、軍事協力も期待しています。北部ではフーシ派が国際航路を攻撃し、南部ではアル・シャバブの自爆テロ犯が活動している状況は、決して好ましいものではありません。イスラエルは、混乱した隣国を持つ状況を最もよく理解しているでしょう。

※フーシ派:イエメンを拠点にする親イラン反政府武装組織。

※アル・シャバブ:ソマリア南部を拠点にするイスラム組織

ソマリランドに民主主義は根付いていますか?

2017年から2024年、第5代大統領ムセ・ビヒの元で、政治は悪化の一途を辿り、彼に対して民兵組織が次々と結成されるほどでした。

しかし、最近の選挙で彼は圧倒的な票差で落選しました。

指導者の責任を追及するような組織的な報道機関は存在しませんが、人々は事態の悪化を認識し、それに対抗して投票したのです。

なぜ国名の最後に「-land」をつけたのか?

それは、私たちがイタリア領ソマリランド(現在のソマリア)に編入される前の名称です。

イギリス領ソマリランド(現在のソマリランド)やイタリア領ソマリランド、フランス領ソマリランド(現在のジブチ)と同じです。

ソマリアの海賊はどうなの?

彼らを代弁すると、政府が崩壊した際、ソマリア沖では多くの外国漁船が違法操業し、核廃棄物も投棄されたのです。

海賊行為はその取締りが発端で、海賊たちはそれが多少なりとも儲かる商売だと気付くと、そのまま続けたのです。

ソマリランドはなぜソマリアから分離したのでしょうか?

ソマリランドとソマリアは、植民地時代を経て独立し、エジプトとシリアのアラブ連合共和国のような連合を試みました。

しかしソマリアが主導権を握り、ソマリランドの人々に対してイサーク虐殺を実行しました。

その後、独立運動が起こり、1991年にソマリランドは失敗に終わった連合を解消しました。

※第3代ソマリア大統領バーレ(1969~1991年在任)は、1980年代、エチオピアの支援を受けた反政府組織を徹底的に弾圧した。反政府組織は北西部に多く、政府軍によりイサーク簇の民間人が10万人以上虐殺され、都市も空爆により徹底的に破壊された。エチオピアに40万人以上のイサーク簇難民が避難した。

あれだけの流血を伴った、ソマリアからの独立紛争は、それだけの価値があったと言えるでしょうか?

10万人もの死者を出した虐殺、首都ハルゲイサの90%、第二の都市ブルコの70%を破壊した大都市への空爆に価値なんてないでしょう。

本来は独立にそんな犠牲を払う必要は無いはずです。

ソマリランドが比較的安定した要因は何ですか?

私たちの政治文化は、牧畜民の平等主義を基盤とした開かれた議会制民主主義です。妥協と交渉を重んじる社会文化、そして調和を育む民族構成が特徴です。

一方、ソマリアでは20もの部族が権力争いを繰り広げています。

ソマリランドの憲法は、10年かけて起草された、まさに偉業と言えるでしょう。

※元の投稿https://www.reddit.com/r/AMA/comments/1q4ph6t/im_from_somaliland_a_country_thats_been/

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